「そんなガイアのやり方はおかしい!」
  
  と言われたのは、とある自然の家の施設で行ったキャンプでの、
  他の利用団体の責任者からだった。
  
  事前に施設に提出している利用計画表というものには、
  ガイア自然学校はいつも「フィールドにあるさまざまな場所で、
  班ごとに自由にあそびまわる」ということを記載し、
  他の団体が使用している場合は
  迷惑をかけずトラブルが起きないよう現場で臨機応変に行動する、
  ということで施設職員さんにも理解してもらっていた。
  
  このキャンプでも、
  他団体が出した利用計画表に○時から□□を利用すると
  記載していたらしい場所で、ガイアの子どもたちが全力で遊んでいた。
  施設職員さんにその旨の声をかけられたガイアスタッフは、
  子どもたちのあそびを中断したくないという思いで、
  端の方で遊ばせてもらえないかと交渉をお願いした。
  
  ところがこの対応が相手団体の責任者にとっては
  納得できないことだったようで、トラブルに発展してしまったのだ。
  施設職員さんも板挟みになってしまい、
  申し訳ないことをした。
  
  結局、ガイアの子どもたちを引き上げさせることで、
  丸く、いや三角程度には収まったのだった。
  
  
  この件を通して強く感じたことは、
  「自由にあそべるということは贅沢なことだ」ということ。
  
  他の利用団体や施設側の立場になって考えてみれば、
  予測不能な動き、思ってもいないあそびというのは
  煙たがられるのも確かにわかる。
  非構成なあそびであるガイアならではのフリーキャンプというものは、
  子どもたちの主体性に任せるところが非常に大きいので
  大人には臨機応変さが求められる。
  
  
  世の中には「子どもたちの主体性を伸ばすための活動」と唄ってはいるものの、
  実際のところは大人がすみずみまでデザインしつくしたものを
  押しつけている体験活動、教育活動があふれている。
  
  しかもそこにいる大人はそれに気づいていないどころか、
  いかに子どもたちを思い通りに動かすかということに注力し、
  それができることを指導力が高い、と言う。
  目の前の子どもの気持ちに心を寄せることは後回しだ。
  
  
  はたしてそれが本当の教育なのだろうか。
  
  ガイアが大切にしている自由にあそぶという理念は、
  その子が自分の人生を自分で決めて歩んでいける力を育むことにつながると
  信じているところから生まれている。

  
  このガイアの活動、子どもたちが自分らしくその瞬間を生きられる場を
  守り続けていきたい。
  
  そのために僕自身は、謙虚な姿勢と感謝の心を忘れずにやっていくだけだ。
  【文:守屋 謙】